陰翳礼讃

秋にあるアートフェスティバルに出展するために試行錯誤中。

内に紡がれし金糸銀糸により、我が心の深淵にある光と影をいかに描くか、それが創作の中心にはあり、自己対峙からの真理の希求というのが私のテーマですが、ペンを無心に動かす行為自体が自己対峙であり、真理を求める手段となっているのだと改めて思います。

今回心に浮かんだのが、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」。日本文化の根元である陰翳が無くなった現在、「文学芸術等にその損を補う道が残されてはいまいかと思うのである。私はわれわれが既に失いつつある陰翳の世界をせめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐を深くし、壁を暗くし、見えすぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾をはぎとってみたい。」と彼は言います。陰翳があるからこそ生み出される美、そこにヒントを求めることにしました。そしてもう一つ、今回の作品に使いたいと思うのが、ラピスラズリの絵の具。昔からラピスラズリには惹かれていましたが、それはあの深い瑠璃色と混合物の金に叡智と宇宙を感じるからです。

叡智と言えば、私の母校の名がそれを意味する"Sophia"であり、建学の精神でもあります。叡智とは、「深い知性。真実在や真理を捉えることのできる最高の認識力」。やはりそのあたりが、私の人生のテーマであり、その大きな一端として創作活動があるのだと思っています。そう再認識したところで、今回はいかにそれを表現するか、8月には図録作成のために仕上げなければならないので、もうあまり時間がありません。